|
|
| 岐阜の建築作品を紹介して参りました町の小冊子誌『岐阜建築探訪』(岐阜の建築家の住宅作品を年2回春夏・秋冬と発表し地域の建築情報を載せて建築の啓蒙を行う。6000部無料配布。1998年JID賞 受賞)も早いもので7年目となりました。いろいろな事がありましたが、今回のこの試みは、岐阜の建築家の作品と建築メッセージをインターネットで発信し、建築のもつ意味を広げようというものです。今回の企画も地域の人々の協力によって運営されており、建築のもつ意味のひろがりと社会の中での建築という存在に対し、新しい価値と秩序を生みだすことができるのではないかと一同けんめいに自負しております。 さて、ここで話が変わりますが、建築と建物について少しお話ししておきたいと思います。建築と建物という言葉には、いろいろな意味が含まれています。簡単には理解しにくいと思いますが、よく言われている『建物』の意味から入りましょう。一般的に『建物』という言葉を使うときは「あの建物はだれが建てたのですか。」とか「あの建物は何ですか。」というように『建物』とはそこに建っている物そのものになります。ですから「この建物は鉄筋コンクリートで建てられた物です。」ということになるのです。それに対し『建築』とは何でしょう。建築という言葉の中には建物そのものと建物をたてること(ことがら)・行為が含まれているのです。例えば、どんな材料を集め組み立てても、それは物の集まりであり建築とは呼べません。建築とは物を生かし秩序だて人間にとっての喜びとなり、理解できる意味+行為が含まれること---それが『建築』なのです。ですから建築的な建物は、人間が生活していく上においての物に、意味ある秩序だてを行った行為が示された建物---ということなのです。それが建築的な建物といえるのです。(少し大雑把ですが)ではこの建築的な行為を示すことは、、、、、、、。 ここに登場してくるのが『建築家』です。 建築家(住宅の場合)は建築主とその場所からあらゆる情報を受け止め、建築的な意味ある秩序だてを行い提案していくのです。具体的に申しますと、例えば建築する土地の環境・光・風・地盤など。また建築主のライフスタイルや建築コスト、そしてもっと深いところでは人間生活の新しい考え方や思想、社会との関係などを組み立てていくのです。そして図面・模型等という表現手段を使い、建築主との話し合いの上で秩序あるかたちにしていくのです。ですから建築的な建物は建築主そのものでもあり、人間と同じようなメッセージ力を持つのではないかと思います。 少し話が難しくなりましたので元に戻ります。今回のネットは今後どの程度のものが、出来上がるのかまだ解りません、、、が、またそこが面白いところであり、期待できるところではないかと思っています。 現在各ページはまだ調整しながら発信しております。今後4ヶ月毎に新しくページを増やし充実させていく予定です。お楽しみに。 |
![]() 織田 信長
|
|||
| かつて岐阜に戦国の武将「織田信長」がいました。彼は岐阜の町を大きく発展させ、天下統一をめざしました。この時代に町を見た宣教師ルイス・フロイスは、岐阜城や信長居館の壮麗さに驚き、城下町の賑わいを「古代バビロンの如し」と書き残しています。また、晩年信長は壮大な安土城を建てており、このような史実を、「織田信長はすぐれたデザイナーであり建築家であり施主でもある。」と生前、司馬遼太郎さんはJIA NEWS1992で述べておられます。 現在の岐阜の町も金華山と美しい長良川に囲まれており、この美しい環境こそが歴史を生み、信長という人物を登場させる要因にもなったような気がします。 |
|||
|
|||